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レビュー

2018年4月9日、ヴァイッド・ハリルホジッチ氏の解任が公式に発表された。ロシアW杯まで、残すところわずか2カ月というタイミングにもかかわらず、である。

たしかにハリルホジッチ氏については、毀誉褒貶さまざまであった。「戦術に柔軟性がある」と評価する声がある一方で、「一貫性がない」と批判する声。あるいは若手を積極的に起用したことによる、ベテラン選手の起用が減ったことへの賛否。大舞台で結果を残すことに定評のあるハリルホジッチ氏だったが、実際のところロシアW杯で結果を残せたかどうかは誰にもわからない。その知略を出し尽くす前に、解任されてしまったのだから。W杯本戦出場という結果だけを残して。

ここに日本サッカー最大の問題が見て取れる。本来であれば本戦の結果を踏まえたうえで分析・総括し、その「遺産」を継承したうえで次に繋げていくべきだ。しかしその機会は永遠に失われた。「志半ばに終わった仕事を顧みることなく、『次、次!』とばかりに貴重な教訓をしばしば含む経験を捨て去っていく愚」とは著者の言葉だが、日本サッカーの「これから」を考えるならば、ハリルホジッチ氏がなにを課題として捉え、どう解決しようとしていたのかを正しく把握する必要がある。

未完に終わったハリルホジッチ・プランを、ここまで詳細かつわかりやすくまとめた著者に、一人のサッカーファンとして敬意を表したい。

石渡翔ライター詳細

著者

五百蔵 容 (いほろい ただし)
サッカー分析家、シナリオライター、プランナー
1969年横浜市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、株式会社センタープライゼス(現株式会社セガゲームス)に入社。プランナー、シナリオライター、ディレクターとして様々なタイトルの開発に携わる。2006年に独立・起業し、有限会社スタジオモナドを設立。ゲームを中心とした企画・シナリオ制作を行うかたわら、『VICTORY SPORTS』『footballista』などにサッカー分析記事を寄稿する。そのサッカーだけにとどまらない該博な知識とユニークな視点に裏打ちされた論考は、サッカーという競技の本質をつくものとして高い評価を集めている。本書が初の単著となる。
Twitter ID: 500zoo

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本書の要点

  • 要点1 ハリルホジッチの強みは「エリア戦略」にあった。これまでの日本サッカーの遺産を継承しながらも、「多様なエリアを占有可能な戦略」「状況に応じエリア戦略を変更できる柔軟性」をもたらしつつあった。
  • 要点2 状況が次々と切り替わる現代サッカーでは、どうしてもどこかで1対1の状況が生まれてしまう。ハリルホジッチが「デュエル」を重要視したのは必然だった。
  • 要点3 「コミュニケーション上の問題」で解任されたハリルホジッチだが、もっとも深刻だったのはJFA(日本サッカー協会)との関係だったと考えられる。

要約

日本代表監督・ハリルホジッチの事績

なぜ「デュエル」を強調したのか

anusorn nakdee/iStock/Thinkstock

ヴァイッド・ハリルホジッチが就任直後から重要視していたものは3つ、「メンタル」「タクティクス」そして「デュエル」だ。メンタルを強くもち、タクティカル(戦術的)にデュエルをしかける。そうすれば「どんなに強いチームに対しても、勝つことができる」というのが、ハリルホジッチの考えだった。

ただしこのうち「デュエル」については、日本では正しく理解されていない向きがある。ハリルホジッチのいう「デュエル」とは、単なる1対1を意味しない。それはあくまでも「戦術的」におこなわれなければならない性質のもの(=「戦術的デュエル」)なのだ。

日本代表でこの「戦術的デュエル」がきわめてうまく機能したのが、2017年8月31日のオーストラリア戦だ。この試合でハリルホジッチの率いる日本代表は、オーストラリア代表の戦略を正確に見抜き、それを破壊するための「戦術的デュエル」を実行。戦略的な優位性を得た日本代表は、見事この試合に勝利した。

ハリルホジッチの「エリア戦略」

ハリルホジッチのプランには、「相手の長所や短所に戦術的な対応をおこなう」以上の強みがあった。「フィールド上のどのエリアを、どのような方法で占有するか」「勝敗を決定づけるプレーのため、占有したエリアをどう活用するか」といった、「エリア戦略」の洞察・選択・活用が、非常にうまいのだ。

ハリルホジッチ以前の日本代表は、このエリア戦略に難を抱えていた。たとえば2010年のW杯を戦った岡田武史の場合、結果的には占有をめざすエリアが高いか低いかの「どちらか」に偏っていた。だから取りうる戦術や攻撃手段も「パスワークによる崩しとショートカウンター」か「ロングカウンター」の「どちらか」に限られてしまったわけだ。

その反省を踏まえて就任したアルベルト・ザッケローニは、ミドルゾーンを戦略的に占有するサッカーを志向し、2014年のW杯を戦った。これはある程度うまくいった。だが逆に「ミドルゾーンでインテンシティ(強度)高くボール奪取可能なサッカー」しかできなくなってしまい、ミドルゾーンを専有できる場合は強豪国とも互角に戦えるものの、ミドルゾーンの優位性が得られない場合はその脆弱性が目立つ結果になった。

ハリルホジッチに求められたのは、これまでの日本サッカーの遺産を継承しつつ、「多様なエリアを占有可能な戦略」「状況に応じエリア戦略を変更できる柔軟性」をもたらすことだと分析できる。そしてそれは実現しつつあったのだ。

「ボールゲーム」としてのサッカー

サッカーの特異性

releon8211/iStock/Thinkstock

「戦術的デュエル」と「エリア戦略」の関係を明確にするには、「ボールゲーム」としてのサッカーの構造・特異性について、あらためて考察する必要がある。

ゴール型ボールゲームは、「敵陣・自陣に分かれてそれぞれにゴールがあり、ゴールにボールを入れると得点になる」と定義できる。攻守の切り替え(トランジション)がシームレス(もしくはそれに近いかたち)におこなわれるものと、攻守の切り替えがフェイズで分けられているものがあるが、サッカーは前者に該当する。

サッカーの特異性はまず、人数に対するピッチ(サッカーコート)サイズの過大な広さに見いだせる。また足でボールを蹴るため、他のゲームよりボールの移動速度が速く、ボールの移動距離にもかなりのバリエーションが出せる。そのためプレイヤー一人あたりのカバー範囲が広く、求められる走行距離も非常に長い。

このためサッカーでは、守備面でのリスクをどうコントロールするかが常に問題となる。スペースの広さとボールスピード、配置されている人数を考えると、どうしても不均衡が生じるからだ。

現代サッカーはゾーンマークが基盤

サッカーにおける守備の流れは大きく分けて2つである。1つはマンマークを基盤とした守備戦術、もう1つはゾーンマークを基盤とした守備戦術だ。

マンマークとは文字どおり、パスの出し手や受け手を直接マークするやり方である。相手に対して常に1対1のデュエルをしかけやすいため、フィジカル面で優位ならば、有効な選択肢になる。ただし相手の動きに引っ張られ、自陣に穴が空いてしまうリスクも生じやすい。マークとカバーのグループ戦術が整理されているのなら、有効な戦術だといえる。

一方のゾーンマークは、フィールドを仮想的にいくつかのゾーンへ区切り、各ゾーンに入ってくるボールに対してマークをおこなうやり方だ。仮想的に区切られたゾーンを基準に守備をおこなうので、マンマークと異なり相手の動きに影響されにくい。ボールの位置に応じてチーム全体がどう動くのかはっきりしていれば、さまざまな場面に対応できる戦術である。ただし直接的なデュエルはマンマークよりも仕掛けにくい。また連動してプレッシャーを与えても、相手が効果的なパスを出せる場合、どうしても対応が後追いになってしまう。

現代サッカーではゾーンマークを基盤にしつつ、マンマークのエッセンスを加えていくことが多い。マンマークよりもゾーンマークが優先されるのは、マンマークが相手の時間的優位性(スピードアップしたパス、パスレシーブ)を直接潰すやり方なのに対し、ゾーンマークは相手の空間的優位性に制限をかける(空間を狭めていく)ことで、相手から空間も時間も奪えるやり方だからだ。

フィールドの仮想化

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現代サッカーは「フィールドの仮想化(仮想的な区分け)」をすることで、広大な空間を効果的に活用している。たとえばオフサイドを利用し、DF(ディフェンス)の最終ラインを押し上げれば、当面のプレーフィールドを限定(仮想化)できる。

ちなみにフィールドの仮想化は、DFラインの裏をめぐる攻防だけにかぎらない。守備陣も攻撃陣もあらゆる場面で柔軟に連動し、多様な仮想フィールドを状況に応じて作り出せるよう動くことが求められる。しかも相手が効果的に使えないエリアを一度作っても、それはあくまで一時的なものだ。相手の動き方次第で、ふたたび新たな状況をセッティングするべくポジショニングしなければならない。

このようにサッカーは攻守の切り替えがシームレスに、しかも瞬間的に発生する。状況の変化にすばやく適応し、変化しつづける戦略にも戦術的・肉体的な強度を落とさず対応しつづけるには、「インテンシティ」の高さがどうしても必要になってくる。

ハリルホジッチが「戦術的デュエル」の重要性を強調していたのも、こうした事情があるためだ。試合中に状況が次々と切り替わる現代サッカーでは、どうしてもどこかに穴ができてしまい、仮想フィールド外を守るための1対1の状況が発生してしまう。だからこそデュエルに勝つこと、もしくは負けないことが、攻撃側においても守備側においても大変重要になる。

デュエルとはめまぐるしく変化する戦況を、自分たちにとって有利に運ぶようにおこなう、高度に戦略的かつ戦術的なアクションだ。それは現代サッカーにおいて原理的に必須とも呼べる要素であり、「日本人選手には合わない」などといって、避けられるものではないのである。

【必読ポイント!】 日本サッカーにビジョンはあるか?

ハリルホジッチはロシアで通用したか?

ハリルホジッチは相手チームがどういう戦術的なトレンドに乗っているのかを細かく分析し、その骨格を叩いて機能不全にする手立てを考えられる監督だ。ただし相手チームの骨組みはうまく叩けるものの、自チームについては「最低限の戦略的要請に耐えうる組織」にすることが限界だった。そういった実績を評価すると、ハリルホジッチはトップクラスというより、「セカンドトップ」の指導者だと結論できる。

ここ最近はサッカー理論が一般的になったことで、「セカンドトップ」クラスの監督が増えはじめている。ブラジルW杯の時点だと、骨格叩き合戦を高いレベルでできたのは、ドイツ代表のヨアヒム・レーヴ、チリ代表のホルヘ・サンパオリ、オランダ代表のルイ・ファン・ハール、コロンビア代表のホセ・ペケルマン、そしてハリルホジッチくらいだった。だがロシアでは、このクラスの監督がもっと増えると予想されている。ハリルホジッチの戦術・戦略も、前回大会ほどは輝かなかったかもしれない。

ただし日本が現実的に招聘できる「セカンドトップ」の監督のなかだと、ハリルホジッチは最高クラスの経験と実績を有していた。そういうレベルの監督を解雇したJFA(日本サッカー協会)のリスクマネージメントははたして正しかったのか、私たちはあらためて問い直さなければならない。

日本サッカーにおける問題

Wavebreakmedia/iStock/Thinkstock

ハリルホジッチが「デュエル」の重要性を指摘したことからもわかるように、日本代表は主に守備面でのプレーで多くの問題を抱えてきた。その原因は、以下の4点に求められる。

(1)キャリアのはじめからマンマーク、もしくは基準がバラバラで曖昧なゾーンとマンマークのミックスでプレーしてきた選手が多いこと

(2)ゾーンDFの理解度が低いために、味方が空けたスペースを組織的にカバーし、閉じるといったプレーを持続的におこなえないこと

(3)高い水準でプレーできる純粋なDH(ディフェンシブハーフ:DFラインの前に位置し守備を主任務とするミッドフィルダー)が不足していること

(4)アンカーが必要となるシステムでプレーするチームが少ないため、アンカーの適役が不足していること

こうした問題は一朝一夕で解決できることではないが、それでもなんとか対処していかなければならない。ハリルホジッチが日本代表で2CH(センターハーフ)ではなく3CHを採用し、ゲームメイク能力よりもデュエルの強さを基準に選手を選んでいたのは、こうした背景があったのである。

「コミュニケーション問題」という悲劇

ハリルホジッチは日本代表・日本サッカーが直面してきた数々の課題と、正面から向き合おうとしていた。それだけに彼が「コミュニケーション上の問題」で解任されたことは、日本サッカーにとって大きな損失であった。

たしかにハリルホジッチの発言は誤解されることも多かったし、コミュニケーション上の問題はあったのだろう。だがその発言が誤解されないように、メディアや選手たちとしっかりコミュニケーションする責任は、ハリルホジッチをサポートする立場にいた技術委員会にもあったはずだ。JFAとハリルホジッチとの間のコミュニケーションにこそ、もっとも深刻な問題が生じていたのではないか。

結局ハリルホジッチが積み上げてきた仕事は、本番の舞台で検証されることもなく、放棄されてしまった。残念ながらいまの日本サッカーは、「日本人らしいサッカーとは」「世界で勝つには」といった理想を問えるレベルにまだないし、むしろさらに低い水準へと後退してしまったといえる。

それでもロシアW杯は待ってくれない。わずか2カ月という準備期間で本番に挑む新しい日本代表を後押しし、遠くを見据えながらも力強く支えること。そしてハリルホジッチ解任に象徴される「足下」のさまざまな問題を認識し、ひとつずつ地道に改善していくこと。私たちにいま求められているのは、そういうことなのだ。

(以上、敬称略)

一読のすすめ

本書をお手に取られたら、ぜひとも巻末にある2つの補足資料に目を通していただきたい。1つ目はハリルホジッチ氏を招いた霜田正浩氏の証言、2つ目は2016年のアジア最終予選初戦(UAE戦)に向けたハリルホジッチ氏の発言内容の抜粋だ。前者からはハリルホジッチ氏を招聘した真意が、後者からはハリルホジッチ氏の日本代表に対する期待と熱意が伺い知れる。

ハリルホジッチ氏への評価はそれぞれだろう。だがいずれにせよ、これまでの戦略や戦術を議論・評価・総括することなくして、日本代表というチームが前進するのは難しい。そういう意味で本書がこのタイミングで出版されたのは、大変意義深いことだと思う。知的スポーツとしてのサッカーの醍醐味も伝わってくる好著だ。

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